クーリエジャポンの記事から

2008年1月31日 (木)

ドラッグは悪くない?

クーリエジャポンがリニューアルしてから、森巣博という作家が毎号コラムを書いている。自らをチューサン階級(中学3年生程度の知識の持ち主ということらしい)と呼び、かなり独自性の強い見解を毎回開陳している。個人的には海外での生活が長い氏の経験に裏打ちされた意見を楽しく読ませていただいていたが、今回ばかりは納得できない。

なんと森巣氏はドラッグを使用することはよいことという驚天動地の主張を行っている。私の専門知識が足りないだけかもしれないが、氏の主張するように警察の生活安全課の人間がみんなシャブ(覚せい剤)を使ったことがあり、また大麻の使用は問題ないから大麻取締法では所持や栽培は罰しても、使用は罰する規定がないなどというのは刺激的というよりも荒唐無稽という感じがしてしまう。

得意のウィキペディアで大麻に関する記述を調べてみた

大麻

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BA%BB

ちなみに覚醒剤も

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E9%86%92%E5%89%A4

そこでは、やはり大麻については合法化しても良いという主張があると紹介されていた。しかし森巣氏が言うような、覚醒剤の使用について肯定的な記述はほとんどない。これは別にウィキペディアの表現上の問題だけではなく、常識で考えてクスリを使うことで幸せになることは、一時的には認められても、恒常的に使用することが通常とは到底思われない。物議を醸すような過激な発言を行うことで、新しい見方を投入し、議論を活発化させる方法としてはありなのかもしれないが、このような発言を延々と書いた揚句に

「この問題は国家についてもドラッグについても、いろいろと示唆に富むので、次号で続けて検討してみたい。」

と締めくくっている。麻薬を使用することは依存性があるという点や、覚醒剤などの強い薬剤の摂取を続けると精神病になるリスクを負うことにもなるはずですが、こういった面について森巣氏はどのように考えているのでしょうか。それとも一部の報告書で書かれているように、ドラッグの習慣性は、アルコールやタバコと大して変わらないのに、国家による規制がドラッグに対する偏見を生んできたとでも言うのでしょうか?オランダは確か大麻の使用は合法だったはずですが、それは世界的に見ても珍しい例です。アメリカのクリントン元大統領はたしか就任当初にマリファナを吸っていたという疑惑で叩かれかけたことがあったはずです(「吸ったが肺に入れてはいない」などという謎の説明をしていた気がします)

いみじくも、森巣氏もサウジアラビアやイエメンでは向精神薬を常用している人々がいると紹介している一方で、世界中で麻薬や向精神薬は取り締まりの対象になっていることを指摘しています。

唯一森巣氏の今回のコラムの中で素晴らしい点は、こういった禁止や取り締まり物品が、二つの条件によって大きく変わってしまうという指摘でした。

1.地理的に違う場所においては、規制されるものが変わり、それまで摂取が特に問題な   かったものが罰せられる対象になったりする(例:イスラム圏での飲酒)

2.時間の経過によって、それまで合法出会った薬物が非合法になる(例:戦前から戦後すぐとそれ以後の覚醒剤の取扱い)

このように、この世に存在するものは場所が変わること、時間が経過することでその意味が相対的に変化していくものであるということはよく覚えておくべきことでしょう。この点を噛みしめつつ来月の森巣氏のコラムに期待をして待つことにします。

web拍手を送る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月22日 (土)

やっぱり中田英寿はわからない・・・

かなり久しぶりに記事を書きます。

調子が出るかどうか少々心配ですが、今回は以前の記事でも取り上げたクーリエジャポンと中田英寿のコラボ記事について書くことにします。

12月10日発売のクーリエジャポン1月号では「深夜特急」などの著作で有名な沢木耕太郎さんとの長編対談が掲載されています。どうも二人は以前からお知り合いのようで、どちらも世界を旅する「旅人」として独自の見解をぶつけられていてなかなか興味深い内容でした。

この対談、おそらく沢木さんは対談としての構成も考えた上でのことだと思いますが、中田さんと沢木さん自身との違いを浮き彫りにするような発言を繰り返しています。少々引用してみると中田さんが「自分がいなきゃいけない場所とか、住処を1つに決めるのもバカらしい」と発言したのに対して

沢木:ぼくが長い旅行をしたとき、途中まではまったく同じ感想だった。自分は世界のどこでも生きていけるし、何が起こっても対応できると思った。だけど、旅の最後に、ぼくは日本に帰ろうと思った。東京で暮らそう、と。そのときなぜそう思ったのかは、自分でもよくわからないんだけど。

 中田さんは旅をはじめて1年3か月経っても、どこかに定住しようという気持ちはない?

中田:ないですね。そういう移動しながらの生活が僕には合っているなと思います。

これほど完全に日本に対する望郷の念がないことをあっさりと吐露した文章もあまりお目にかかったことがありません。中田さんのこの言い方が良い悪いではなく、本当に日本を飛び出して、世界中に名前の知られたサッカー選手である中田さんが日本に帰りたいと思うことなく、旅から旅へ世界中を回って過ごしていきたいと思うことに驚きを覚えました。

あまり内容を詳しく書くと、クーリエジャポンを買ってもらえなくなるから(笑)これ以上詳しくは書けませんが、一人旅につきものの孤独感や、現地の人とのふれあいなど、同じように世界中を旅してまわった沢木さんにしか聞くことのできない質問が出てきて、かなり読ませる内容になっています。

ただ、私にとっては中田さんが語っていた

やっぱり、最終的には人間はみんな一人なんだってことですね。

という一言がどうしても納得できませんでした。というか、人間は最終的に一人だとしてもそれを抱えて生きていくような強さはほとんどの人が持っていないから、みんな国や民族や宗教といった他の人と共有できる物語を持って生きているのです。それなのに、すべてを取り払って、自分が生まれて育った場所も取り払って旅をして生きていくことができる中田英寿という人間は、やっぱり私の理解を超えていてちょっと不気味な感じがしますね。それとも最近の世界にはこういう本当に「インターナショナル」な感じの人が増えているのでしょうかね?

web拍手を送る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月25日 (日)

最も保守的な業界は?-クーリエジャポンより(2)-

それは間違いなくマスコミ業界でしょう。

私は大学時代に社会学を学んでいましたが、それと同時にマスメディアについても少しだけ研究をしたことがあります。その時、日本のマスメディアは極めて保守的であり、特に記者クラブ制度などに守られた大手新聞社やテレビ局は権力に近すぎるのではないかという指摘を読んだことがあります。

そんな記憶が呼び起こされたのは、前回の記事同様12月号のクーリエジャポンを読んでいたところ、外資系の記者や、大学教授などの座談会で盛んに日本のメディアの「非民主制」を指摘していたからです。

世界が見たNIPPON-これでいいのか!? 日本のマスコミ-

http://blog.moura.jp/courrier/2007/12/10/index.html#001

クーリエジャポンは毎号、日本が海外からどのように見られているのかを象徴するような記事を選んで数本掲載しています。それがこの「世界が見たNIPPON」という企画枠で、今回は特別に外国人のジャーナリストおよび学者から見た日本のマスメディアの問題点について取り上げた座談会の模様を掲載しています。

まあ内容的にはウィキペディアの解説に毛が生えた程度のものに思えますが、外資系のマスメディアで記者クラブに参加できる企業は非常に限られているなどと思うと、やはり日本でもトップクラスの保守性を持っている業界だと思えてしまいます。以前の記事でも書いたようにマスメディアに過剰な期待をすることは無駄だとわかっているつもりですが、それにしてもなぜこんなに日本のマスメディアは保守的なのでしょうか?

座談会の中では、大新聞やテレビ業界ではなく、雑誌ジャーナリズムには多様性があり、調査報道などジャーナリズムの根幹ともいえる部分が比較的残っていることが触れられていますが、圧倒的多数の人間の目に触れる新聞やテレビ放送の問題点に自覚的な人が増えない限り今後も記者クラブ制度は存続していきそうです。何しろ、報道を行っている側である彼ら自身が、自分たちの都合の良いように作り上げてきた記者クラブ制度を壊すような情報を私たちに報道するわけがないですから。

ここは実は重要なことです。自らにとって不利な情報であっても、必要があるとわかっていること、又は法律に触れてしまうようなことは本来やっている人たち自身が間違いを認めて、糺していかなければならないことのはずなのです。最近の報道では他人の問題について論じることは多いですが、自らのことを省みて反省する新聞社もテレビ局もほとんどありません。「紙面審議」や「○○テレビと視聴者の皆様」といった報道内容の再検討機関を持っているように見せている各社も基本的な報道姿勢がそういった機関からの要請によって変わったようには見えません。食品偽装の問題でもこうした自浄作用が働かなかったことを糾弾するマスコミも、新聞販売員の犯罪や、テレビ局員の犯罪について会社として原因究明するよりは「個人の犯罪」として済ませてしまいがちです。普通の報道では「先生が」とか「公務員が」といった職業のレッテル貼りに忙しいのですが、なぜかマスメディアにかかわる場合にはその職業のことを特に問題にしません。人間だれしも身内を守る気持ちはあるでしょうが、こんな露骨なことをやっている業界今どき他にあるでしょうか?

しかし、最近ネット上のニュースが発展してきたことで、新聞購読者は減ってきており、朝日、読売、日経、の三者による販売網の共同化や、ネット上へのポータルサイトの設置が発表されたり、毎日新聞が「毎日jp」というニュースサイトを立ち上げたりとその防衛策に各社必死になっています。5大紙の中では最も規模の小さい産経新聞は、その分危機感があるのか、2006年に「イザ!」を立ち上げ、先日からはMSNのニュース提供者となって最近は勢いがあるようです。特に「イザ!」は@ニフティにも記事を提供していて、結構私自身も親しみを持っています。その「イザ!」では、ブロガーも普通の記者と同じように記事を提供することができるため、産経新聞の思想信条に比べてかなりリベラルな(笑)取り組みといえると思います。まあ結局は産経新聞の趣旨に賛同している人が記事を書くことにはなるのでしょうが・・・。

長くなったので、この件についてはまた折にふれて記事にしたいと思います。今日はこの辺で。

web拍手を送る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月13日 (火)

12月号クーリエジャポンより

10日に発売されたクーリエジャポン12月号。創刊2周年記念号は何とあの元サッカー日本代表、中田英寿責任編集の記事がいくつか掲載され、中田を取材したクーリエジャポン独自記事も20ページ以上にわたって掲載されており、これまでの記事制作のやり方が大幅に見直された感じである。

特別企画 中田英寿 責任編集

私は正直サッカーにはほとんど興味がないし、中田が何と言ってサッカーをやめて、世界中を旅していてもどうでもよいと思うが、表紙に掲載された言葉には長い時間を海外で過ごしてきた人が持つ深い意味があると思う。

「日本人は自分たちの可能性に気づいていない。僕は日本人の意識を変えたいからこういう雑誌をやりたいと思った。」
私も確かに日本人は、いつも海外へ自分を発信する力が弱いと思っている。実際にはユーラシア大陸の端に位置する島国、日本は経済力では世界有数の実力を持ち、ハイテクや自動車などの製造業においても他国の追随を許さないほどの技術と収益力を持っているのにである。
日本はどうしても海を隔てて他国と交流しているせいか、どこか「日本」と「日本以外の国」という考え方をして、他国と距離を置いてしまいがちではないか。中田へのインタービューの中では大陸国であるヨーロッパ諸国ではイタリア人がフランス人のことが嫌いであっても、地続きの隣国であるフランスの動向というのは、イタリアのそれに準じて重要な事柄であると多くの人が感じ取っているから、国際的なニュースに敏感になり、国際的な交流がEU内で大規模に行われていることが示されている。
このインタビュー記事の中では私も重視している、「多様性」ということがキーワードであったように思います。海外で長く暮らしてきて、日本がいかに優れた人々によって作られている国であるかを改めて認識して、その日本人の良いところをもっと日本人が積極的に海外へ出ていくことで世界への貢献をしていくことが、日本にとって良いことだという考えが生まれてきたことがうかがえます。
ただ、今の日本の「良さ」はひょっとすると、そういう世界の「多様性」を知らないからこそ、世界中の多くの人から興味をもたれる日本文化を保持している原因でもあるのではないかとこれまた別の視点から考えてみることもできます。
中田責任編集ということで、いくつもの海外の記事がピックアップされていますが、2006年にノーベル賞を受賞したグラミン銀行の制度を応用した、少額保険「マイクロ保険」が静かに貧困国に広がってきているそうです。もちろん日銭を稼ぐのにも困るような生活をしている場合には保険など二の次でしょうが、非常に低額で(週2ドル)で死亡時6000ドルの保険金が家族に支払われるとしたら、これは比較的収入の低い階層の人物でも加入が可能ではないだろうか。詳しい内容は記事を読んでいただきたいが、マイクロクレジットが生み出した超低額融資によるビジネスといういわゆるソーシャルビジネスは大企業を巻き込みながら成長を始めている気がしてきました。融資だけでなく保険などの金融商品がいろいろ発売されてきているようです。
他にも紹介したい記事はたくさんあるのですが、また後日紹介します。とにかく、これまでほとんど独自記事を掲載せず、他国の雑誌記事などを特集内容に合わせて翻訳して再編集することに特化してきたクーリエですが、今回は世界の多様性の見せ方を明確に変えました。中田英寿という日本で知らない人のない有名人を迎えて、責任編集記事を大量に掲載することで、あえて「クーリエジャポン≒中田英寿」という明確な視点から世界の多様性を紹介することで、創刊二周年の節目を迎えることができたと思います。今後もこういった編集が行われていくのかどうかは不明ですが、さして中田に興味がなかった私にとっては、彼の言動や選択した記事を読むことで彼自身の問題意識や、アジアに対する自分自身の認識を再確認するよい機会になったと思っています。
気になる方はクーリエジャポンをどうぞ手にとって読んでみてください。蛇足ですが、以前から写真の美しかったクーリエジャポンですが、今回の中田特集の写真も素晴らしい出来ですよ(死海のあたりらしい)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月19日 (金)

セシリア・サルコジ

クーリエジャポンの紹介をすると記事を書いてから、一本も記事がなかったのですが、昨日あたりからニュースになっているフランスの大統領ニコラ・サルコジ氏と妻セシリアさんの離婚のニュースです。日本の雑誌ではセシリアさんの動向や生い立ちについて詳しく書いたものが少ないですが、10月に発売された最新のクーリエジャポンでは6ページも使ってセシリアさんのことを紹介しています。

セシリア・サルコジ

お騒がせファーストレディの"伝説"

http://blog.moura.jp/courrier/2007/11/post_0202.html

スペインの偉大な作曲家アルベニスを祖父に持つ彼女は、大学に進んだものの退学してモデルの仕事をしていたらしい。やがて、フランスの著名なテレビ司会者と結婚して2児を設けたがやがて離婚して、その後で現在の夫と結婚したようです。

クーリエではフランスの高級紙「ル・モンド」の記事を転載し、セシリアさんがいかにフランス人にとって気になる存在か、そして雑誌や新聞で取り上げるだけで売り上げが増えるというご利益(?)があるかといったことを紹介しています。 ただ、夫が出馬している大統領選の投票に行かないなど、本当に好きなように行動する彼女に対しては賛否両論があるようです

もちろん、クーリエジャポンはサルコジ夫妻の離婚前に発売されている(記事はさらに以前)ので、離婚するかどうか確定した情報はないものの、今回離婚するであろうセシリアさんの自由で、奔放な人柄はよくわかる記事が掲載されています。ただ、夫妻は連れ子が二人ずついて、さらに二人の間に男の子ももうけているということを知ったときに、私はそんなに簡単に離婚しないんじゃないかなと思ったのですが、あっさり予想は外れましたね(笑)

詳しく読みたい方はまだまだ在庫はあるでしょうから、もし良かったら書店で買ってみては。又は下のリンクからもどうぞ(笑)

人気ブログランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月14日 (日)

クーリエジャポン知ってます?

講談社から「COURRiER Japon」という雑誌が出ているのをご存知ですか?日本以外の諸外国の(提携誌はなんと1500!以上)雑誌・新聞記事から興味深いものを編集して日本語訳の上まとめている雑誌です。
実は私はかなり以前から読者で、いつも楽しくこの雑誌を読んでいます。もともとこの雑誌は名前にもある通り「COURRiER」(こちらは週刊誌)という1990年に創刊されたフランスの雑誌の提携誌として発行され始めました。(詳しくはウィキペディア参照)少しでもクーリエジャポンの読者の方が増えればと思い、ウェブサイトを見ても良くわからない記事の内容の一部をお届けすることにします(自己満足かもしれませんが・・・(笑))

私はクーリエジャポンが大好きなのですが、どうも当初この雑誌に期待されたほどは売れていないようで、2005年12月の創刊当時から2007年の3月まで月2回発行だったのですが、2ヶ月の休刊を経て5月から毎月10日発行の月刊誌としてリニューアルしました。先日でた10月号の内容を目次から抜粋すると

世界には日本人の知らない「超金持ち共和国」がある!
"リッチスタン"へようこそ
数千万円の携帯電話でおしゃべりし、
ジム通いにもプライベート・ヘリを利用、
子供の誕生日にサッカー選手を呼ぼうと
コンシェルジュに無理難題を言いつける……。
そんな庶民の想像を絶する生活を送る
スーパーリッチが世界中で増殖中。
ウォール・ストリート・ジャーナルの
記者ロバート・フランクは、21世紀の新富裕層は、
独自の隔絶した"国家"を形成しつつあると指摘し、
その架空の国を"リッチスタン"と名づけて分析している。
"リッチスタン"で生まれつつある新しいトレンドや
ビジネスを覗いてみると、高度資本主義の最先端と、
拡大する超格差社会のいびつな歪みが見えてくる。

というわけで、ピンクダイヤをちりばめた数千万円もするような携帯電話を売るもとノキアのデザイナーが起こした超富裕層向け携帯電話とそれに付随するコンシェルジュサービスの実態などについての記事が掲載されている。中でも、ブラジルのリオデジャネイロでは、富裕層の間でヘリを持つことがステータスであると同時に、渋滞と犯罪から逃れるために必要な空の道を確保するための道具として普及しているらしい。200以上もヘリポートがあり(ニューヨークの私設のヘリポートは3つ!)、ごく一部の富裕層は渋滞や危険のない空を使って自由に行き来する暮らしを送っているそうである。ちなみにブラジルでは500の家族が国の国富の40パーセントも所有しているとのことで、残り60パーセントを1億8千万人で分配しているそうなので、日本など比較にならない格差大国である。

また他にもインドネシアの雑誌で、「クレヨンしんちゃん」が女性蔑視を子供たちに広め非常に大きな悪影響を与えているといった記事も紹介されていて、なかなか興味深い。

やっぱりヘンだよ、ニッポン(概要のみ)
http://blog.moura.jp/courrier/2007/11/post_1397.html

一般的に日本のアニメはそのクオリティの高さから世界中で人気があると思われているが、思わぬ視点からの指摘が、それもインドネシアからあったということに驚きとともに興味を覚える。なお、たしかに「クレヨンしんちゃん」の人間描写には問題もあると思われる向きもあると思うが、記事ではさらに「パーマン」や「ドラえもん」でも女性蔑視の視点でアニメが作られており、子供に与える影響を考えると見せないほうが良いという主張を展開している。日本では誰もが知っていて、なおかつ家族向けの名作だと思われている「パーマン」や「ドラえもん」が女性差別的だという問題を指摘している点で、その是非はともかく、やはり国が違うことによる物の見方の違い、そして問題意識の持ち方もまったく違っていることを実感した。

社会の評価が定まっているようなものを根本的に違う見方をするのは難しいが、別の国、地域からの評価、視点を知ることでより複眼的に物事について考えることが出来るようになるとおもう。そういった複眼的思考力を養うことが、今後の日本人にとって必要な能力になるのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)